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『ツキということについて』より抜粋

(前略)この人間の業生の世界では、運、不運というものがつきものであって、
巧みに運をつかんで進んでゆく人が、この世の成功をするのである。
この運、不運というものがツキを常に自己の運命につけておかなければいけない。

それにはどうすればよいかというと、ツキというもはあくまで、この業生の世界の波なのであるから、
この業生の世界を超えながら、しかもこの業生の世界で生活する、という方法を会得しなければ、
常にツキを身につけておくわけにはゆかない。

ツキを身につけるというより、ツキなどにおかまいなく、
自己の実力を出しきってゆくことのできる方法を会得しなければいけない。

 

 それは常に、自己の本体、本心、つまり神のみ心、み力と、肉体身の自己とを一つにしてゆくことによって、自由自在に自分の実力を出し切ってゆくことができるのである。
合気道の植芝盛平翁(うえしばもりへいおう)などがそういう人であったのである。

 自己の運も不運も、その場、その時々のツキということも、すべて、神のみ心にお任せして、
常に神との一体化の祈り心で、事に当たってゆくこと、その方法が、
常にツキを身につけ、ツキを超越してゆく、最大の方法なのである。

何故ならば、私どもの智慧も力も、みな根源を神のみ心から頂いているからである。
だから、神のみ心と一つになれば、すべての事柄が自己の進むがままに成就してゆくのである。

そこで神と一体化の祈りの行(ぎょう)が大事である、というのである。

(1975年7月「白光」五井昌久著)

世界人類が平和でありますように
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